こんにちは。タクヤンです。
今回お話しするのは
市川一家4人殺人事件
です。
【大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件】犯人全員が死刑判決となった未成年犯罪とは?
市川一家4人殺人事件の概要
市川一家4人殺人事件は1992年3月5日夕方~6日朝にかけて千葉県市川市幸二丁目のマンションで発生した
- 強盗殺人
- 殺人
- 強盗強姦
事件のことで犯人は事件当時19歳の未成年であった。
しかし事件の判決は残虐性などを考慮した結果,日本で当時2例目となる「死刑判決」であった。
事件の犯人「関光彦」とその事件の発端
市原一家4人殺人事件の発端となった関光彦は同じく市川氏のフィリピンパブで顔なじみであったホステスを連れ出して自宅に2日間監禁したことに始まります。
この監禁事件2日後の8日にホステスは光彦に監禁されたことをパブの経営者に報告し、怒った経営者は知り合いのやくざに落とし前を付けさせるように依頼した。
そして光彦はこの日からやくざに追われることになった。
[スポンサーリンク]関光彦と事件までに起こした性犯罪
ホステス監禁事件から5日後の11日に光彦はイライラからの行動か東京都中野区の路上を歩いていた24歳の女性を襲って鼻を折るなどの怪我を負わせた。
その後自宅に監禁して強姦した。
しかしその日の夜にホステスの件で暴力団員7人がアパートに押しかけてきて関は車で逃げた。
だがその監禁強姦事件から24時間もしない12日に被害者となる家族の姉(Aさん、当時15歳)が自転車で買い物帰りだったのでわざと車をぶつけた。
「病院に送る」など嘘をつき、少女を自分の家に監禁して強姦、この時口封じのためかAさんの生徒手帳を奪って名前と住所を書き写していた。
Aさんはこの時何とか脱出することが出来た。
彼女はその後学校で耳に傷がついていることを聞かれた際、「コンビニで男性に襲われた」「高校の先輩にやられた」などと嘘の供述をしたが、警察にも一応被害届は出していた。
しかしこの段階では顔見知りの犯行ではなかったことからまだ関が捜査線上に上がることはなかった。
[スポンサーリンク]関光彦が起こした暴力事件に対する慰謝料
関は2日連続で女性を強姦したことで自分には力があると思い込んでいたが暴力団相手には情けないほどに無抵抗といわれおり、自分よりも弱い相手にしか強く出れないということが伺えます。
まぁ実際暴力団相手は流石に・・・・と思いますがそれでも女性や自分よりも弱い相手には強く出れるというのには変わりありません。
Aさんを拉致監禁強姦した日の夜に関は暴力団員に呼び出され、組長から
- 慰謝料: 200万円
を請求され、関はそんなお金を持っているわけでもなく、また取り立てを恐れてか自分の車の中で寝泊まりしていた。
ただ、この関が所有していた車は当時高級車のクラウン(400万円)であり、少なくともこの車を売れば幾ばくかの慰謝料にはなったはず。
だが彼にはそんな考えには至らなかった。
市川一家4人殺人事件までに関が起こした2つの傷害事件
関はお金を工面しようと2月25日に市川浦安線で車を運転中にあおり運転をされたことに腹を立ててあおり運転をしてきた男性に「安静加療約10日間を要する頭部挫創」を負わせた。
その際には「暴力団」と偽り「7~8万円」を要求した。
さらにその2日後には埼玉県岩槻市で運転中に当時21歳の大学生の乗用車に追い抜かれたことに腹を立てて男子学生を拉致監禁。
車内において持っていた折り畳みナイフで20数か所を刺し全治約6週間も要する怪我を負わせた。
この時に男子学生の車から免許証などを窃盗し逃走した。
だがこれらの事件を引き起こしても慰謝料200万円には得られず、焦りから「パチンコ店に強盗」をしようと考えた挙句、Aさんの一家に侵入して金品を盗むことを思いついた。
なぜこの時になっても車を売ろうと考えつかなかったのかは不明。
[スポンサーリンク]市川一家4人殺人事件の計画と当日の犯行の流れ
関はAさんの電話に何回か電話して在宅状況に探りを入れ、何回も下見にも行き「1階のエレベーターホールには監視カメラはない」「Aさんの家は806号室」など確認して犯行に及んだ。
事件当時は朝からパチンコやゲーセンで時間をつぶし、Aさんの自宅に侵入する決意を固める。
そしてこの時に「ついでにAさんを強姦して暴力団のせいでみじめな生活を送らされた鬱憤を晴らそう」とさえ考えていた(マジで救いようのないくず)
そして事件は3月5日の16時30分ごろにAさんの自宅に侵入した
16時30分ごろ
Aさんの家に侵入した時、北川洋間でAさんの祖母がテレビをつけたまま寝ていた。
この時関は「年寄りなら負けない」と考え脅したが祖母は怯えることなく毅然とした態度で「8万だけならくれてやる」といってその場から逃げようとした。
そのことについて馬鹿にされたと逆上し近くの電気コードで祖母を絞殺した。
さらにこの時もしもを考えてか関は祖母が布団で寝ている偽装工作をした。
祖母の殺害後、関はマンションの外にいったん出て「煙草と飲み物」を購入して「長期戦」になると思って飲み物を複数個購入していた。
19時ごろ
この時間にAさんと母親が一緒に買い物から帰ってきた時,関は物色している最中であった。
関は非常に殺傷力の高い包丁などの刃物を隠し、二人が居間に向かっていた時、その刃物を持って二人の退路を断って脅した。
だが、Aさんの母親は「勝ち気」で関に対しても恐れることはなかった。
このことに対して「女とはいえ2人相手には勝てないかもしれない。どちらかに逃げられたら犯行がバレる」と考え二人を床にうつ伏せにした。
そして、この時関は「母親は頭が切れそうな感じ」という恐れからか無抵抗の母親の背中に5回包丁を突き刺して殺害した。
21時ごろ
この時Aさんの妹さんが保育園から帰宅してきた時関はAさんに命令してご飯を作らせてAさんと妹さんと3人で食事をした。
そして妹さんは亡くなった祖母が横たわっている部屋に追いやられ1人にされた。
この後関は「父親が帰ってくるまでの間気分転換の為にAさんを強姦しよう」と考え家族の死体が横たわるそばでAさんを強姦という常軌を逸した行動を行っている。
3月6日午前0時
関は予想よりも早く帰ってきた父親を包丁で刺して「暴力団だ。お前の記事のせいで組が迷惑している」と騙して脅した。
現金にして目的の200万円以上を手に入れたがもっと手に入れようと考え、会社に「通帳を取りに行く」と電話させ、Aさんを連れて会社に行こうとした。
だが「父親を口封じに殺しておかないと警察に通報される」と危惧してAさんは知ることなく動けなくなっていた父親を包丁で殺害。
Aさんを会社に連れて行った。
午前1時ごろ
会社に到着後、Aさんに通帳を取りに行かせ、従業員に不審に思われないためにAさんの名前を読んだりして親しげにしていたが不審に思われ警察に通報が入った。
派出所の警官と従業員は部屋のドアを叩いたり電話をかけたが「不在だ」と判断して帰ってしまった。(Aさんの妹さんは存命)
午前1~5時ごろ
関はAさんをラブホテルに連れ込み、盗んだ通帳の額面などを確認し、印鑑・通帳の陰影を確認した。
そしてそこでもAさんを強姦し、ホテルで一夜を過ごした。
午前6~7時ごろ
そして6時30分ごろにAさんとマンションに帰ってき、関は友人と電話して談笑していたがAさんの妹さんが泣き始めた。
「近所に犯行がバレる」と危惧した関は妹さんを柳刃包丁で殺害。
Aさんは包丁で刺された妹さんを前にして動けなかったが関は「妹の首を絞めて楽にしてやれ」などふざけたことを言い放った。
想像を絶する出来事で動けなかったAさんだったので関は妹さんの首を絞めて殺害。
そのことで激怒したAさんは関に食って掛かったが関は逆上しAさんの腕や背中に全治2週間の怪我を負わせた。
午前8時ごろ
Aさんの父親の会社の従業員がまた電話が掛かってきたので不審に思い色々とAさんに電話口で質問したことで誰かが家でAさんを脅していると確信。
警察官と共に部屋に来たが鍵がかかっていたのでベランダから侵入し、悲惨な光景を目にして事件が発覚。
関は玄関から逃げ出したが警察官と格闘の末逮捕された。
この時関は「俺はやっていない!!」とむなしく叫んだがナイフを所持していたので銃刀法違反の容疑で逮捕されて事件は幕を閉じた。
犯人は逮捕直前に被害者の女の子を犯人にしようとしていた
犯人の関光彦は警察が突入する直前に被害者のAさんに包丁を持たせて「自分を襲っているようにしろ」と命令していた。
でもありとあらゆる出来事によって身も心も疲弊しきっており呆然として座り込んだまま動かなかった。
このことに苛立って怒鳴りつけた瞬間に警官隊が流れ込んできて彼はやっと現行犯で逮捕され、14時間による事件は終幕を迎えた
- 祖母の順子さん
- 母の照夜さん
- 父の功二さん
- 妹の宇海ちゃん
の4名が惨殺されるという結果になってしまった。
ここからは逮捕後と死刑執行までのまとめです。