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【大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件】犯人全員が死刑判決となった未成年犯罪とは?

未成年犯罪

今回お話しするのは

全員死刑判決になった

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件

です。

 

 

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大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の概要

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の概要

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件」は1994年9月28日~10月7日の9日間に大阪・愛知・岐阜の3府県で発生した連続リンチ殺人事件

未成年の少年グループによる事件であり、主犯格の3人もまた当時は未成年であるということから「少年法」が適用され罪が軽くなると思われていたが少年3人に対して死刑判決が下された珍しい事件でもあります。

 

 

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の犯人小林正人・大倉淳・芳我匡由と共謀理由

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の犯人小林正人・大倉淳・芳我匡由と共謀理由

この事件の主犯格の

  1. 小林正人
  2. 大倉淳(旧姓:小森)
  3. 芳我匡由(旧姓:河渕)

は全員が似た境遇で特に主犯格の小林正人は

  • 生後間もなく母親を亡くす
  • 母方の兄夫婦の養子となる
  • 幼稚園の頃から盗難癖があった
  • 中学生の頃には救護院のお世話
  • 窃盗・恐喝・強姦を繰り返し少年院
  • 仮退院後も強姦事件を起こして補導

などなど明らかにやばい人間であり、事件同年の8月には強盗致傷事件を起こして大阪に逃亡した。

 

逃亡先の大阪で

  • 大阪府松原市生まれ
  • 定時制の高校に進んで1年で中退
  • ホストクラブで働き
  • 暴力団の準構成員

の経歴を持つ「大倉淳」と

  • 大阪府西成区出身
  • 7人兄弟
  • 家庭は貧困で完全に育児は放任されていた

の「芳我匡由」の二人と出会い、似たような境遇から意気投合してしまし、より大きな犯罪に手を染めていく。

 

 

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大阪で起きた「大阪事件」

1994年(平成6年)の9月28日の午前3時頃、小林と芳我の二人が道頓堀で通行していた元すし店員の川田(仮名・事件当時26歳)さんに因縁をつけて溜まり場でもあった組事務所内に連れ込んで暴行を加えた。

 

その上で川田さんに飯場で働かせてその報酬金の支払いを強要しようとしたが川田さんはこれを拒否。

3人は川田さんの首を絞めて絞殺し、死亡したかどうかの確認をするために煙草を川田さんの体に押し当てるということを行った。

川田さん殺害後、3人は暴力団組員に遺体の後始末を相談しその結果布団で包んで29日に高知県安芸郡奈半利町の山中に遺棄した。

 

川田さんは検察の解剖では

  • 鎖骨骨折
  • 助骨3本骨折
  • 内臓破裂
  • 家族が見ても顔の判別がつかないほど腫れあがっていた

などの状態であった。

そして小林ら3人は事件発覚を恐れて小林の地元の愛知県稲沢市に逃亡。

 

 

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愛知県で起きた「木曽川事件」

愛知県で起きた「木曽川事件」

逃亡先の非行仲間の家でシンナーを吸っていた時に地元の遊び仲間で建設作業員の田中さん(仮名・当時22歳)が3人のもとに訪ねてきた。

田中さんは彼女が小林に強姦されたことを恨んでおり、そのことで殴り合いの喧嘩になった。

そこで河渕たちは小林に加担してビール瓶や棒で田中さんの頭部や顔面を殴打するなど約6~7時間に及ぶリンチの末、田中さんは意識不明になった。

 

3人は田中さんを尾西市の木曽川河川敷に死体を遺棄しようと土手から田中さんを蹴り落とし、雑木林に引きずりシンナーをかけ、火を点けて逃亡した。

 

 

岐阜県で起きた「長良川事件」

岐阜県で起きた「長良川事件」

7日に起きた木曽川の事件の同日の午後10時頃に3人は遊ぶお金欲しさに恐喝することを計画し、愛知県の稲沢市のボウリング場の駐車場で物色していた。

そこをたまたま通りかかった同級生で一緒に遊びに来ていた

  • 会社員の原田さん(仮名・当時20歳)
  • アルバイトの西山さん(仮名・当時19歳)
  • 谷口さん(仮名・当時20歳)

に因縁をつけて顔面を殴打するなどの暴行を加え、車の後部座席に無理やり乗せ、岐阜県の長良川右岸堤防に連れて行った。

その道中で原田さんから8000円を強奪した上2人を鉄パイプなどで滅多打ちにして殺害、2人は両腕で防ごうとしていた結果両腕の骨は砕けていた状態であった。

3人は田中さんらを江南緑地公園木曽川左岸グランド駐車場に遺棄して逃亡した。

 

この事件の時谷口さんは運よく解放され、谷口さんの供述により事件が発覚し少年グループが指名手配。

  • 河渕は10月12日に出頭
  • 小林も14日に出頭
  • 芳我は大阪に逃亡したが翌年の1月18日に逮捕

その他少年グループのメンバーも逮捕された。

 

 

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裁判での彼らの主張と遺族に対する態度

主犯格の3人は

  1. 強盗殺人
  2. 殺人
  3. 死体遺棄
  4. 強盗致傷
  5. 恐喝
  6. 逮捕監禁

の6つの罪で起訴されたが3名は全くと言っていいほど反省のない態度を見せていた。

  1. 自分は未成年だから死刑にはならない
  2. 俺の刑はどれぐらいなの?
  3. 被害者遺族に笑う傍若無人の態度
  4. 犯行に反対していたグループ仲間の2人の少女の殺害も計画

などなど少年法が自分たちを無罪にでもしてくれると考えて余裕のある態度をとっていたと考えれる。

事実、過去の未成年犯罪でも被告の少年たちは「未成年だから死刑にはならない」などと証言している。

 

しかし、反省がない態度や残虐な犯行から1審の名古屋地方裁判所では検察側から死刑を求刑された。

このことに焦りを感じたのか、もしくはまさか死刑を求刑されるとは思わなかったのか3人は遺族に対して謝罪の手紙を送ったりしているが当たり前だが受け入れられなかった

 

 

「小林正人」に対する弁護と最終判決

 

小林は木曽川・長良川両事件に関して「偶然・故意にしろ殺すつもりはなかった」と主張。

弁護側は「首謀者としての評価は誤りで、重要な場面では小林被告の役割が大きかった。未成年者が虚勢を張り合う中で起きた犯行であり、彼が中心的役割とした一審判決は誤りであり、死刑判決は重すぎて不当」と主張。

 

遺族に対して謝罪の手紙を書いており、反省の意志がある

3被告は不遇な環境で育って人格的に未成熟、更生が可能

と死刑を免れようとした。

しかし、判決で「犯行を強力に推進し、最も中心的で重要な役割を果たした」と認定し、「死刑」はやむを得ないと最終判決も死刑となった。

 

  1. 一審判決:死刑
  2. 二審判決:死刑
  3. 最終判決:死刑

 

 

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「大倉淳」に対する弁護と最終判決

大倉淳は一審で「傷害致死罪で無期懲役」と判決が下されたが遺族が控訴をした。

 

弁護側は「形式上は兄貴分であったが小林被告に追従する立場であり、事件も場当たり的な犯行で殺意はなかった」と有期懲役刑と求刑していた。

二審で死刑判決を下されたとき、弁護側は

積極的に暴力にかかわっておらず、従属的だった。死刑を望まない遺族もおり、生きて償う努力をさせるべきだ」と主張し改めて有期懲役を求刑。

 

しかし、検察側や裁判長は「残虐な行為で4人の命を奪った責任は重大であり、小林被告とともに進んで犯行を行っている。」と死刑判決を下した。

 

  1. 一審判決:無期懲役
  2. 二審判決:死刑判決
  3. 最終判決:死刑判決

 

 

「芳我匡由」に対する弁護と最終判決

一審判決では「もっとも年下であり、追従せざるを得なかった」として無期懲役が言い渡された。

控訴審では弁護側は「集団の末端の従属者に過ぎず、死刑は重すぎて不当」と有期懲役刑を求刑。

ここでは「序列では一番下といえ、強制された訳ではなくかえって積極的に犯行に及んだ」と認定。

 

最高裁でも弁護側は「果たした役割は従属的で主犯とは言えず、心の底から反省かつ後悔しているので死刑は重すぎる」と主張。

しかし検察側と裁判長は最終判決で「進んで殺害行為に着手するなど主体的に関与しており、従属的とは言えない」と死刑判決を下した

 

  1. 一審判決:無期懲役
  2. 二審判決:死刑判決
  3. 最終判決:死刑判決

 

 

その他大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件に加担した人間達への判決

その他大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件に加担した人間達への判決

また、大阪事件の時に遺体を高知県山中に遺棄した罪で問われていた暴力団員の男(当時46歳)は大阪地裁で懲役1年8か月

同じく大阪事件で殺人遺体遺棄に加わった少年(当時19歳)は1995年に懲役4~8年の不定期刑判決となった。

 

木曽川事件の殺人に加担した少年(当時19歳)は1995年に懲役4~8年の不定期刑判決

木曽川事件、長良川事件両方に関与した男性(当時21歳)は脅されて犯行に加わったとして懲役3年、執行猶予4年判決となった。

同じく木曽川、長良川事件に関与した男性(当時23歳)は殺人罪で起訴されたが殺人ほう助として懲役3年、執行猶予4年判決となった。

 

 

 

最終判決後の死刑囚たちの動き

最終判決後の死刑囚たちの動き

小林正人死刑囚は「事件当時離人症を伴う解離性障害であり、事件当時は心神喪失状態であり無罪」と主張。

2013年に柴田裁判長が「鑑定結果の信頼性には甚だ疑問があり、些細な動機から殺人を繰り返しても精神障害とは疑われず、行動制御能力を失っていた疑いは生じない」と棄却

 

大倉淳死刑囚は2013年1月に再審を請求し、上申書と法医学者による遺体鑑定書から暴行と被害者死亡に因果関係はないと主張。

だが同じく柴田裁判長が「新規性を欠き、証拠価値についても信用性が乏しい」と判断し最終的に棄却した。

 

 

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終わりに

この事件はこの後に「オウム真理教」や「阪神大震災」などのせいでそこまで注目されなくなりましたが未成年が犯罪を犯して3人が同時に死刑判決を下された珍しい事件でもあります。

 

事例としてはかなり少ないですが少年法のおかげで死刑にはならないということはないと示してくれた事件でもあります。

 

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