こんにちは。タクヤンです。
今回お話しするのは
高校生首切り殺人事件
です。
日本で起きた未成年犯罪の1つです。
高校生首切り殺人事件の概要
この事件の小説「心にナイフをしのばせて」
高校生首切り殺人事件は1969年(昭和44年)4月23日に神奈川県で発生した殺人事件。
被害者も加害者も共に未成年であり、いじめから発生した事件でもあるが、取材を行ったフリージャーナリストの「奥野修司」氏は「イジメの存在は確認できなかった」と主張している。
高校生首切り殺人事件の発生と被害者と犯人の関係
事件発生の日、カトリック系の中高一貫校の川崎市向ヶ丘私立サレジオ高校一年生の2人の少年AとBはあることで揉めていた。
それは「加賀美 洋(以下B)」が「A」の辞書を盗み、中に毛虫を挟むことをした。
その日の放課後に2人は放課後に山に行き、Aは盗んだ登山用ナイフを見せたが、Bは一切ひるまず、「お前の顔は豚に似ているな」などの暴言を吐いた。
Aは今までに受けたいじめなどを思い出し、Bをナイフで刺した。
Bは
- 胸部12か所
- 背中7か所
- 頭部12か所
- 顔面16か所
の計47か所をめった刺しにされるという悲惨な状態だったという。
しかしAは報復を恐れて無我夢中でBの首を切断した。
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高校生首切り殺人事件の犯人による証拠隠滅と偽装工作
Aは自分で行ったことに対して急に恐ろしくなり偽装工作を行おうと、自身の左肩に2回ナイフで切り、襲われたかのように偽装し、凶器のナイフは現場近くの土の中に埋めた。
そして「3人の不良に襲われた」や「日本刀を持ったおかしな奴に襲われ、友人が殺された」など嘘の供述をした。
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高校生首切り殺人事件の発覚と事件後の動き
しかし2日後には警察での取り調べで「今までの供述は矛盾だらけだ。本当のことを言いなさい」と指摘され、その日の午後6時15分にはBの殺害を自供。
今でも問題になる「少年法」と、この当時Aは「15歳」。
少年法の適用で少年院に送られ、保護観察処分をうけたのちに出所。
慶応義塾大学を卒業し、学習院大学大学院法学研究科修士課程を修了し、司法試験に合格し弁護士として働くようになった。
また、名前も改名し何不自由なく生活をしている。
高校生首切り殺人事件後の被害者遺族と犯人の関わり
被害者の遺族は崩壊寸前の状態に陥っていて、Aの父親はB君の遺族に対して「毎月2万円ずつ」支払うと示談書を交わしていたが、示談金720万円の内40万円しか支払わず、残りの680万は支払わずに1998年でもまだ680万が未払いのまま。
しかし2006年に奥野氏が出版した「ココロにナイフをしのばせて」でAの個人情報がネットに流出。
その年の10月に遺族への謝罪をしたいというのと、和解金も支払うという意思があることも伝えている。
だがAはその後弁護士を廃業しAからの連絡は途絶えている。
また、Aは奥野氏の取材に対して「なんで俺が謝らなあかんねん」と事件に対する反省も特に見れなかった。
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終わりに
今回この事件を調べてみてやはり未成年を守る「少年法」の必要性を疑問視してしまいそうですね。
子供を守るのは当たり前ですが、こういった事件でも特に前科もつくこともなく数年で少年院を出てくる・・・・。
少年法を撤廃は不可能でも年齢や犯罪の重さによって罪の重さを変えるのも必要なのかもしれません。
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