今回お話するのは
兄が妹を殺害
渋谷区短大生切断遺体事件
です。
多少の証拠を失くしてしまうのは仕方ないですけど、代替品で何とかなるんですね。
渋谷区短大生遺体切断事件とは?
渋谷区短大生遺体切断事件は、2006年12月30日に発生した殺人事件。
歯科医を両親に持つ、次男が長女を殺害し、バラバラにして隠蔽した事件です。
浪人生という立場の圧と、妹との間の壁が引き起こしたと言われている事件。
警察が一部証拠品を紛失するという不祥事を起こしています。
事件の犯人「加藤勇貴」と関係者
事件の犯人は「加藤勇貴」、そして被害者は「加藤亜澄」さん。
このお二人は兄弟で、彼らの家族は
- 父(当時62歳): 東京都渋谷区の歯科医
- 母(当時57歳)
- 長男: 当時都内有名私立大の歯学部
- 次男: 加藤勇貴(当時21歳)
- 長女: 加藤亜澄(当時20歳)
という構成でした。
次男: 加藤勇貴の経歴
歯学部系の予備校生で当時3浪中。
物静かで真面目でおとなしく目立たない普通の子でした。
ただ、驚くほど几帳面で、宿題を忘れたら「申し訳ありません。」と担任に自分から謝りに行くほどだったそうです。
「両親が歯科医なので、大人しくしないといけない。兄とは平行線の関係」
と長女との関係は決して悪いわけではありません。
長女の入学のためにパソコンを懸命に探してあげることもあったからです。
長女: 加藤亜澄さんの経歴
長女の加藤亜澄さんは短大に通いながらも、「芸能事務所」に所属(芸名: 高峰駆(たかみね かける))していた過去があります。
「両性的な雰囲気がいい」と癒し系の女優を目指し、日々演技やダンスのレッスンに励んでいました。
舞台に出演する一方でより活躍を目指し、数十回オーディションに連続で落ちたりもしていました。
それでも諦めず、ドラマやグラビアに何度も挑戦し始めて、Vシネマで脇役として活躍。
「悔しさを表には出さず、短大を卒業するまでに結果を出そうと、地道に努力していた」
そんな方です。
事件の流れ
ここで渋谷区短大生遺体切断事件の流れを見ていきましょう。
- 事件発生
- 遺体の損壊と偽装工作
- 事件発覚と逮捕
この順番で事件を見ていきましょう。
事件発生
2006年12月30日の午後。
母と長男が東北地方に帰省し、渋谷区の自宅に加藤亜澄さんと加藤勇貴の2人きりとなっていました。
彼らは家族のことや生活態度について、1時間ほど話し合うなどごく普通の会話を行っていました。
しかし、長女の「兄さんには夢がないね」という言葉に犯人が逆上。
洗面で洗顔をしていた亜澄さんの頭部を木刀で殴りました。
その後、水を張った浴槽内に頭を沈め、タオルで首を絞めて殺害してしまいました。
遺体損壊と偽装工作
加藤勇貴は殺害した亜澄さんを、文化包丁とのこぎりで「頭髪、頭部、両腕、胸部、下腹部、両足」など十数個に切断。
胸部や下腹部は流し台の生ごみ処理機で処分し、血は全て洗い流したり拭き落としたりした。
その後、二重三重にした4つのゴミ用ポリ袋に分けて、自宅3階の自分の部屋のクローゼットに3つ、キャビネットに1つを隠した。
合宿参加と両親への嘘
妹を殺害した翌日に、兄は6日間の予備校合宿に参加しました。
合宿出発の際、車で送ってもらった父親に
「友人からもらった観賞用の鮫が死んだ。匂いがするかもしれないけど部屋を開けないで」
と頼んでいました。
その後、父も東北地方に帰省。
この時、殺害した亜澄さんの下着を合宿所に持って行ったそうです。
事件発覚と逮捕
事件発生から3日後に両親が帰宅。
翌日の1月3日に妻が異臭に気づき、3階の部屋で亜澄さんの遺体を発見。
警視庁代々木署に届けました。
そして、合宿先から勇貴容疑者に同行を求めて事情を聴取。
追及を行ったところ事件への関与を認め、逮捕されました。
事件の裁判
ここでは渋谷区短大生遺体切断事件の裁判の流れについて、みていきたいと思います。
- 加藤勇貴容疑者の供述
- 両親の供述
- 警察の不祥事
- 第一審
- 第二審
- 最終判決
それぞれ見ていきましょう。
加藤容疑者の供述
加藤勇貴は家族との関係に対し
親に「受験生なんだから」と言われ続け、一人前と認められず受験生扱いが不満だった
と供述し、亜澄さんとの関係については
いつのことからかははっきりしませんが、仲が悪くなった。3年ぐらい家の中でもお互いを避けて、話をすることもなかった。
と供述。
犯行動機については
妹から「私には夢があるけど、勇君にはないね」「勇君はしっかり勉強しないから夢が叶わない」となじられ、「勉強をしてもどうせダメだ」と言われたと思って、頭にきてやってしまった。
と供述しました。
両親の供述
事件について、加藤勇貴容疑者の両親はコメントを残しています。
加藤勇貴に対しては
息子がどうしてあれほどの苦行をしたのかはわかりません。ただ、勇貴の性格は優しく、家族に対して暴力をふるったりするようなことは1度もありませんでした。妹に対して絶対と言っていいくらい自分から謝ることはありませんでした。
そして、亜澄さんに対しては
亜澄は他を顧みない自由奔放で正確と言動で、家族から理解されなかったのは事実です。亜澄は大変気が強く、絶対と言っていいほど自分から謝らない子でした。あの時、亜澄が「ごめんなさい」と謝れば、勇貴も我に返ることが出来、今回の事件は起きなかったのではないかと思う日々です。
と供述しました。
お互いの関係については
マスコミが報道する「3年間も口を利かなかったような冷たい関係」というのは若干違います。兄弟の関係は決して険悪というものではありませんでした。亜澄の態度を勇貴が「両親を悩ます元凶」と思い込んだのかもしれません
と供述しました。
警察の不祥事
警察の捜査員は1月6日に
- 木刀
- のこぎり
- 家族が着ていた2点の衣類
4つの証拠品をゴミと間違えて処分してしまい、翌日に紛失に気が付きました。
ただ、裁判においては代替品を用いることで対応しました。
この点において、多少の損失があるものの大きな問題はないと言われています。
そんなの許されるんですね。(少なくとも犯人は確定していたからでしょうか・・・・。)
第一審
2007年7月に始まった裁判では「責任能力の有無」が最大の争点となりました。
弁護側は「犯行時に心神喪失か心神耗弱」であったと主張し、精神鑑定が認められました。
精神鑑定結果は2008年3月24日に報告されました。
結果は
生来のアスペルガー障害、中学時代に発症した強迫性障害に加え、犯行時には解離性同一性障害を発症していた。被害者の挑発的態度により、人格内部に隠れていた認識していない部分が爆発して犯行に及んだ
と指摘し、
殺害時の責任能力は著しく限られており、遺体損壊時には解離性同一性障害を引き起こしていて責任能力はなかった
と結論付け、以下の判決を下しました。
懲役7年に処す。未決拘留日数250日をその刑に算入する。死体損壊については無罪とする。
弁護側は「控訴するかどうかは本人と家族と相談して決めたい」と語りました。
第二審
東京地検はこの第一審の判決に対し不服として東京高裁に控訴しました。
弁護側も同時に控訴を行いました。
地検は
証拠隠蔽工作を行うなど、死体損壊時にも完全責任能力がある
と主張し、弁護側は
殺害時も責任能力がない
と全面無罪を主張しました。
最終判決
そして、最高裁第2小法廷の竹内行夫裁判長は以下のように最終判定を行いました。
殺害、および死体損壊時の両方において一貫して責任能力がある。1審判決は破棄、懲役12年とする
1審の懲役7年の判決を破棄し、加藤勇貴容疑者に懲役12年の刑が最終決定として言い渡されました。
真偽不明な報道
この事件を受けて週刊誌は、加藤勇貴の猟奇性をこぞって取り上げ、強調するように報道を行いました。
亜澄さんが「兄と義理の妹との禁断の愛をテーマにしたVシネマ」に出演していたことで「近親相姦」があったと言われました(否定されています。)
その他、父や兄にDVを受けていたという真偽不明な情報が報道され明日が、警察は加藤勇貴の性的趣味や死体趣味は一切ないということを発表しました。
所詮週刊誌ですが、遺族からしたらたまったもんじゃないですね。(あいつらは炎上目的なので謝罪なんてしていないでしょうが・・・・・・)
まとめ: 渋谷区短大生遺体切断事件はこんな事件
今回はバラバラ殺人事件の渋谷区短大生遺体切断事件について紹介させていただきました。
3浪ってかなり精神に来ますが、親の期待に応えたいというのは時として自殺に追い込んでしまうので恐ろしいものです。
という訳で今回のまとめ
- 渋谷区短大生遺体切断事件は2006年12月30日に発生した事件
- 3浪の兄が短大生の妹の言葉に激高し殺害
- 遺体をバラバラにして隠蔽する
- 翌年の1月3日に発覚し、逮捕
- 警察は証拠品をゴミとして処分してしまう
- 最終判決は懲役12年