今回お話するのは
武装宗教団体が起こした事件
ブランチ・ダビディアン事件
です。
僧が武装するなどはよくありますし、新興宗教団体が武器を持つのは当たり前のことなんでしょう・・・・。
ブランチ・ダビディアン事件とは?
ブランチ・ダビディアン事件は1993年にアメリカのテキサス州で起こった事件。
ブランチ・ダビディアンという新興宗教団体が引き起こした銃撃事件。
対戦車ライフルなどを利用し、FBIも戦車や装甲車を使うなど、事件よりもちょっとした内乱。
宗教団体の教祖を含め、80人以上が死亡した事件です。
- 団体死亡者: 80名以上(教祖含む)
- 警察側: 少なくとも5名以上
ブランチ・ダビディアンとは?
ブランチ・ダビディアンは、アメリカを拠点として活動していた新興宗教団体。
1955年に「ダビデ派セブンスデー・アドベンチスト教会」から分裂し、立ち上げられたプロテスタント系のセクト。
ブランチ・ダビディアンの考え
この団体は当初はヨハネ黙示録による終末思想を元にしていた小さな団体。
1990年代にとある男が教祖に就任したことにより、より過激に。
選民思想が説かれ、教祖の信者だけが生き残ることを神に認められるという思想に変わっていきました。
そして、オウム真理教のように最終戦争が起きると信じ、その準備に信者の武装化を進め、武器を不正に取得。
司法当局やメディアの注目を浴びていきました。
所有していた銃火器
そんなブランチ・ダビディアンが所有していた銃火器たち。
小さい軍隊並みの戦力を有していたといいます。
銃の種類 | 所有数 |
コルト AR15 | 123挺 |
USSR AK47 | 44挺 |
M1 | 26挺 |
M14 | 不明 |
その他小銃 | 11挺 |
拳銃 | 60挺 |
AAI M10 | 不明 |
MAC M11 | 不明 |
散弾銃 | 2挺 |
重機関銃 | 不明 |
対物ライフル ベレッタ50口径 | 2挺 |
M76手投げ弾発射機 | 1挺 |
特にこの対物ライフルはこの事件で警察側を大いに苦しめた銃火器でもあります。
ブランチ・ダビディアンの教祖「デビッド・コレシュ」
そして、この宗教団体をより過激にした教祖「デビット・コレシュ」についてみていきましょう。
- 聖書と音楽への熱意
- ヘビメタ歌手を目指していた
- 教団への就任と名前の改名
- 資金の使い方
聖書と音楽への熱意
バーノン・ハウエルは1959年8月17日にテキサス州ヒューストンにおいて誕生。
母は15歳で出産し、父親は誰かは分からなかった。
失読症であったバーノンは高校は中退。
ただし、音楽と聖書への熱はすさまじく
- 12歳の時には聖書をほぼ暗記する
- 17歳には自分がキリストであるという妄想を抱く
ようになったといいます。
ヘビメタ歌手を目指していた
若いころにロックスターにあこがれてハリウッドに出てきたバーノン。
しかし、音楽に熱があるだけでハリウッドで上手くいくはずもありません。
芽が出ることもなく挫折してしまい、仕事についても聖書の話ばかりで首になることが続いていったといいます。
教団への就任と名前の改名
そんな中、ブランチ・ダビディアンに入信した彼は持ち前のカリスマ性や聖書の知識でたちまち頭角を現していきました。
そして、当時の教団指導者が病死した後、その息子との間で教団の主導権を巡る争いが起きてしまいました。
銃撃戦が起きたりするなどしましたが、最終的には多数派の支持を得たバーノンが1990年に教祖になりました。
そしてこの時、バーノンは名前を「デビット・コレシュ」と改名しています。
この名前はユダヤ人の英雄から来ています。
資金の使い方
教団代表になったデビット・コレシュ。
資金集めに奔走し大金を得ましたが、その反面に巡礼としてイスラエルに観光に行くなどお金の浪費癖は酷かったとか。
さらに、信者の少女にわいせつな行為を行っていたと噂されていたりと、好き放題行っていたと・・・・。
ブランチ・ダビディアン事件: 最初の銃撃戦
1993年2月28日に教団が児童虐待を行い、さらに武器を不法所持しているという疑いから、ATF(火器および爆発物取締局)の強制捜査がはいりました。
ただ、100人にも及ぶ精鋭部隊に対し、教団側は対戦車ライフルで対抗。
さらにATFから漏れていた情報漏洩により、マスコミが突入や銃撃戦を生放送していました。
最終的には
- 捜査員: 4名
- 教団側: 6名(5人という話も)
の死傷者を出して1度目の銃撃戦はATF側の失敗として終わりました。
ブランチ・ダビディアン事件: 2度目の銃撃戦
事件に対してATFからFBIに捜査権が移り、教団側も籠城戦に変えました。
教団側も1年分の食料を備蓄をしており、現場から離れたところではマスコミ村ができて、屋台が並んでちょっとした観光場にまでなってしまっていた。
こういった長期化による問題を憂慮した司法長官が4月19日に強行突入を決断。
教団は要塞となっていることを考慮し、
- 19台の戦車や装甲車
- 武装ヘリ
などを導入し教団施設の壁はあっさり崩壊。
ただ、信者は降参することなく銃撃を繰り返した。
最終的に銃撃戦のなか出火した炎の中で、教祖デビットと信者80人は焼死、事件は幕を閉じた。
ブランチ・ダビディアン事件: 問題点
この事件は事件後に色々な問題点が明るみに出てきました。
それが主に2つ
- 出火原因は本当に信者?
- 降伏文書を握りつぶした?
それぞれ見ていきましょう。
出火原因は本当に信者?
当初は信者が戦車を比で燃やそうとして失敗し、そのまま出火したと考えられていました。
だが、今はFBIの催涙ガスが可燃性であったこともあり、銃撃の火花に引火したのではという疑惑が強いです。
実際TVの生中継でも、FBIが発砲した際に爆発的に炎上する様子が映し出されていています。
降伏文書を握りつぶした?
1度目の銃撃戦の際にATFの捜査状や使用銃火器の使用に違反があったといわれています。
ですが、最も問題視されたのは「降伏文書」の取り扱いでした。
デビットは突入前の4月14日にFBIに「刑務所内で信者たちに布教ができるように計らえば降伏する」と送っています。
ですが、FBI側はこの手紙を司法長官には渡しませんでした。
もしこの手紙が渡されていたら何か変わったかもしれませんが、ちょっと図々しい気もします・・・・・。
ただし、銃火器の使用など適正手続きという観点から政府の対処にも問題があるとされています。
まとめ: ブランチ・ダビディアン事件はこんな事件
今回はアメリカで発生した銃撃戦ブランチ・ダビディアン事件について紹介させていただきました。
宗教ってこんなのばかりとは思いたくありませんが、過激になるとこうなってくるんでしょうね・・・・。
という訳で今回のまとめ
- ブランチ・ダビディアン事件は1993年にアメリカのテキサス州で起こった事件
- デビット・コレシュが教祖であり、最終戦争に備えていた
- 選民思想を持ち、教祖を信じる者だけが生き残ると述べていた
- 銃器の不法所持疑いで警察の強制捜査が入り銃撃戦に
- 対物ライフルなどでお互いに十人以上の死傷者が
- 2度目の銃撃戦で教団側の80人以上が出火で死亡
- 教団側の降伏状を受け取らなかったりするなど問題が発覚