今回お話するのは
イタリアの未解決事件
イル・モストロ事件
フィレンツェの怪物事件
です。
カップルばかりを狙った連続殺人鬼、その犯行期間や手口などを紹介していきます。
フィレンツェの怪物事件とは
フィレンツェの怪物事件は犯人が
- 「イル・モストロ・ディ・フィレンツェ」
- フィレンツェの怪物
- イル・モストロ
と呼ばれたことから「イル・モストロ事件」という別名を持つ。
1968年は不明な点が多いが、1974年と1981~1985年の3回の期間に分かれて行われた。
カップルを狙い殺害する犯行で、8組16名の犠牲者を出した事件。
結局真犯人を見つけることは出来ず、冤罪で逮捕された人もいる。
- 犠牲者: 8組16名
- 犯人: 不明
- 凶器: 22口径ベレッタ
事件の犯行手口
イル・モストロ事件の犯行手口はその規則性や手口が結構特徴的であった。
- 犯行は年に1回程度のペース
- 被害者は無差別
- ドライブ中のカップルを狙っている
- 夏場の月のない、休日の前日の晩に行われている
- 一部女性被害者の殺害後、性器を切り取って持ち帰る
女性に関しては特に死後の損壊も激しく、恨みなどが強いと考えられている。
また、「年に1回」というのは、この手の犯行ではかなり特殊な例であることも特筆される。
通常、この手の連続殺人は「犯行の期間」は短くなる傾向が多い。
殺人による快楽などが「麻薬」となり、次々と犯行を行うことが普通であるが、この犯人はそのような傾向が無かった稀有な例であることも挙げる。
フィレンツェの怪物事件の一連の流れ
この事件の一連の流れをお話していきます。
事件は前述したとおり、1974年と1981~85年に分けて行われている。
- 1968年
- 1974年9月14日
- 1981年~1984年
- 1985年
この順番でこの猟奇殺人事件を追っていきましょう。
1968年
イル・モストロ事件の最初の犠牲者と言われている犯行が、この年に起きた。
8月21日、フィレンツェ郊外シーニャの森の墓地付近で停車中の車。
その中で男女の射殺死体が発見された。
同じく車の中には被害女性の子供が同乗していたが、熟睡していたので無事であったという。
この犯行では、なんと子供の父、被害女性の夫が逮捕され、1970年に13年の懲役刑に処された。
だが、彼が逮捕されている間にも犯行は止まらなかった。
なぜなら、後に彼は全くの無罪であったことが判明したからであった。
1974年9月14日
フィレンツェ郊外ボルゴ・サン・ロレンツォのブドウ畑近くで発生。
停車中の車内で、共に裸の男女の射殺死体が見つかった。
ここで特徴的な被害は、女性の方である。
- 96か所の刺し傷
- 性器にはブドウの茎(蔓)
という女性に対する恨みが強く、2つ目の状況から「悪魔崇拝者の仕業か」と関連付ける話もあったほど。
ただ、1968年の事件と関連付ける人はほぼいなかった。
1981年~1984年
前回の事件から7年近く経ち、またもや事件が発生。
今度は3年に及び、4組のカップルが襲われた。
1981年 6月6日 | 車内で射殺された男女のカップルが発見された。 女性の方はめった刺しにされ、性器を持って行かれていた。 この事件では、カーセックスをする若者を狙った覗きが多かった。 そこで、当時覗き魔の1人が逮捕された。 |
1981年 10月22日 | バルトリーネ付近で車内から男女の射殺死体が発見。 警察も連続殺人事件を疑い、弾道検査を行った。 その結果、これまで起きた4件の事件で同じ銃ベレッタを用いた犯行と判明。 警察は1968年の犯人の共犯者がいると考えて捜査。 そして1人の男が逮捕された。 |
1982年 6月19日 | モンテスペルトリで男女の射殺体が発見。 この時、警察は共犯者として疑っていた男の犯行は不可能。 それでも、警察は共犯者の線が深いと考えていた。 |
1983年 9月9日 | 警察の行動を笑うかのように、男性の同性カップルが射殺された。 1人の髪の毛が長かったので、女生と勘違いされたと思われる。 それでもなお警察は共犯者説に固執してしまい、複数人の身柄を拘束。 |
1984年 7月29日 | デート中の男女のカップルが射殺された。 女性は即死し、男性は8時間後に死亡。 この時、近くにいた50代男性が目撃されたが、後に無関係であると判明。 |
警察の初動ミスが大きく、その後もミスが続いてしまったが為に広がってしまったと言われている。
1985年
1985年の9月8日にサン・カシャ―ノ・イン・ヴァル・ディ・ペーザでキャンプをしていたフランス人カップルが最後の犠牲者となった。
テントで就寝中のところを襲われ、女性は即死。
男性はテントから逃げようとしたところを射殺されたと考えられる。
そして、この時の犠牲となった女性の乳房が切り取られ、最後のお別れと言わんばかりに、州検察官の元に送り付けられた。
その後、フィレンツェの怪物は姿を消したのであった。
事件の容疑者?の逮捕
警察は「共犯者」の線を捨て、新たに69歳の農夫「ピエトロ・パッチャーニ」が逮捕された。
一貫して無罪を主張し続け、裁判の最中である1998年の2月に心臓発作で死亡。
結局、1968年で誤認逮捕した初動ミスを認めきることが出来ず、さらにはその男性の共犯者という説を追いかけ続けたのが問題でしょう。
事件の真犯人は見つかることも、逮捕することも出来ず、事件の真相は闇の中に消えていったのであった。
まとめ: フィレンツェの怪物事件
今回はイタリアで起きたフィレンツェの怪物事件を紹介しました。
実際、日本でもカップルを狙った犯行などはありましたが、ここまで残酷な殺し方をした事件はそうないでしょう。
犯人の目星もつかないまま迷宮入りした事件の真相が表に出ることはあるのでしょうか・・・・。
という訳で今回のまとめ
- フィレンツェの怪物事件はイタリアで起きた事件
- イル・モストロ事件とも呼ばれる
- カップルを1年に1回の頻度で殺害する
- 特に女性の損壊は激しかった
- 8組16名が犠牲となった
- 誤認逮捕が多く、犯人は捕まえられず