今回お話しする事件は
異常なバラバラ事件
首なし娘事件
です。
犯人の異常性が常識を超えた事件です。
首なし娘事件の概要
首なし娘事件は1932年に愛知県で発生したバラバラ殺人事件です。
この事件は犯人が自殺したことと、その時の姿があまりにも異常であるということも有名な事件です。
また、バラバラにされた女性の姿も異常であったということ。
まさに犯人の常軌を逸していた事件です。
死者2名(犯人含む)
首なし娘事件: 犯人「増淵倉吉」と被害者「岩田ますえ」
この事件には主に2人います。
- 犯人:和菓子職人の当時43歳の増淵倉吉(以下M)
- 犠牲者:当時19歳の岩田ますえ(以下A)
それぞれ見ていきましょう。
犯人: 増淵倉吉の過去
犯人のMは群馬県で生まれ育ち、若いころから神仏を篤く信仰する人であった。
その神仏を信仰していくうちに、「死後の世界」を本気で信じていました。
後に和菓子職人になり、東京の浅草で店を営み、婚約を果たし、子供も授かるという順風満帆な生活であった。
しかし、1923年。
関東大震災が店を奪った
Mはそのショックからか、妻子をも捨て仕事を求めて旅立った。
その旅の途中、とある女性と出会い、名古屋市に落ち着いて所帯を持つことになる。
- 犯人のMは饅頭工場で働く
- 後妻は近所の娘たちに裁縫を教える
彼にとって第二の人生が始まったはずであった。
犠牲者: 岩田ますえとの出会い
犠牲者の岩田氏(A)はこの裁縫教室の教え子の一人でした。
ただ、犯人の妻の健康が悪くなったので入院し、裁縫教室は閉じることになった。
彼女はその妻の元にかいがいしく見舞いに通い、そこで犯人と関係を持つようになりました。
ですが、看病のかいむなしく1931年に病死してしましまいました。
この時、犯人Mは妻の遺体が解剖されていく姿を、目を逸らすことなく見守っていたと伝えられています。
首なし娘事件: 事件の発生
妻が亡くなった後、Mは些細なことで饅頭工場を辞職。
心機一転と言わんばかりに12月に上京し、あらたな生活を始めようとしました。
ですが、もともと内向的な性格でもあったので仕事は上手くいきませんでした。
そして、何を思ったのか翌年1月14日に名古屋に戻り、旅館にAさんを呼び出しました。
その後、昼夜関係なく性行為にふけった末、愛知県名古屋市中村区米野町の鶏糞小屋にAさんを連れ出し、絞殺しました。
首なし娘事件: 事件発覚
その約1ヶ月後の2月8日に、事件現場の鶏糞小屋にて、Aさんの腐乱死体が発見され事件が発覚。
Aさんは頭と体の一部が消えていました。
聞き込みから、Mが旅館で何度も出会っていたことが判明し、Mを指名手配をしました。
ただ、行方自体はつかめませんでした。
しかし、2月11日に犬山城に近い犬山橋付近の木曽川の河原で
- Aさんの頭部
- Aさんの遺留品
と共に発見されました。
だが、Aさんの頭部は
- 頭髪と頭皮が剥ぎ取られ
- 眼球がえぐられており
- 刃物で下あごが激しく損壊
という悲惨な状況だったそうです。
首なし娘事件: 犯人の最後
Aさんの発見後の3月5日にある通報がありました。
それはAさんの頭部発見現場の近くの茶店の店主からでした。
掃除の為に別棟の物置を開けようとした時、中から鍵が掛けられていました。
不審に思いながらも扉を外して入ったところ、中には異様な首吊り死体を発見したと。
警察が現場に行くとそこには、確かに異様な遺体がありました。
- 死後1ヶ月経過しており、腐敗が進んでいた
- 中年男性
- 女性用の毛糸の下着の上に黒い洋服を着ていた
- 足にはゴムの長い長靴
- 長い頭髪が付いたままの女性の頭皮をカツラの様に被っていた
そう、Aさんから剥ぎ取った一部を身に着けたMの首つり遺体でした。
さらに、
- 上着のポケットの財布の中にあったお守り袋にAさんの眼球
- 小屋の片隅の冷蔵庫には、Aさんの乳房と下腹部が安置されるように置いてあった
死後の世界を信じていたMは愛するAさんと一体化することを望んでいた。
そして、Aさんの体の一部や服を纏って自殺をする。
そうすれば、死後の世界もずっと一緒にいれると思っていたのかもしれない。
まとめ: 首なし娘事件はこんな事件
今回の事件は調べていておぞましい事件でした。
信心深いことはいいことですが、時にそれが最悪な方向に傾くこともあるということを改めて確認させられる事件でした。
という訳で今回のまとめ
- 首なし娘事件は1932年に発覚したバラバラ殺人事件
- 犯人は信心深い当時43歳の男性
- 犠牲者は当時19歳の娘
- 犯人の妻の裁縫教室に通っていたい犠牲者
- 妻の看病の際、犯人と関係を持つ
- 妻の死後、犯人は犠牲者と性行為に及びまくり犠牲者を殺害
- 一緒になろうとし、犠牲者をバラバラに
- 体の一部を身にまとい首つり自殺