こんにちは。タクヤンです。
今回お話しするのは
17世紀のシスター
シスター・ヴィルジーニャ
です。
シスター・ヴィルジーニャとは?
(画像はイメージです。本人ではありません。)
シスター・ヴィルジーニャとは17世紀初頭のイタリアの修道院にいた修道女で、当時の修道女は今の時代よりも規則が厳しく簡単に調べてみたところ、結婚はおろか恋愛もいけないとのことです。
つまり性行為なんてもっといけないことですね。
そんな中でこの人はその規則を破って快楽に溺れた人です。
ではそんな彼女なんですが、何か犯罪を犯したというよりかは巻き込まれた感じがします。
シスター・ヴィルジーニャと悲惨な事件の内容
彼女ともう一人、「ジャン・パウロ・オシオ」という貴族がいました。
この男は修道院にいる尼僧を手籠めにして性的関係を結んで、背徳の情事を楽しんでいて、その関係はだんだん過激になり最終的には「シスター・ヴィルジーニャ」をはじめとする5人の尼僧、さらには神父まで巻き込んで毎晩7人で乱交にふけっていたとのことです。
当時は修道女が妊娠したら結構ヤバいことになるそうなので街の薬剤師に「ヴィルジーニャ」は町の薬剤師に避妊薬を調合してもらってた。
これは避妊薬さえあれば大丈夫と思っているその考えがあれなんですが、しかし1602年には避妊薬の効果むなしく彼女は妊娠して結果的には死産してしまいます。
さらに1604年にも女児を妊娠し出産します。
(男の子の処理はオシオが行っています。女児はどうなったかは不明ですが、おそらく死産でしょう・・。)
しかしそんな中ある若い尼僧が悪行を司祭に打ち明けると言い出し、オシオは止めようとしたけど彼女の決意は高かったです。
なのでオシオは
尼僧を殴り殺し屋敷で従者に始末させた
しかしそんな現場を見ていた目撃者もそれをネタにして脅そうとして消されています。
その頃、薬剤師は周りの人に「ある貴族と尼さんの為に薬を作ってあげました」と言い始めていたのでオシオは矢で彼を殺そうとしたが運よく助かっています。
こんなことをしているのでさすがに修道院での乱交も噂と流れ始めました。
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暴かれはじめる悪事
やがて、枢機卿(法王の補佐をする偉い人)に「ビルジーニャ」は審問を受けたが、彼女はこう主張した。
「自分は14歳で無理やり修道院に送り込まれ、信仰を強制されました」
なので、神聖冒涜罪には当たらない。
普通はあり得ないかもしれませんが、当時の枢機卿は強制された信仰の誓いに対しては寛大だったので
「2度とオシオに会わない」
という誓いの上で罷免されており、オシオの方も監獄に収容されたが待遇も悪くなく、監視も緩やかなものだった。
しかしオシオは薬剤師への復讐を誓い、監獄を脱走し、公衆の面前で噂を広めた男を殺害した。
その後、頼る当てのない彼は修道院に逃げ込み、「ヴィルジーニャ」に匿ってもらう。
当然、捜索は彼女の部屋にまで及び彼女は捕らえられてしまった。
オシオはこの時隣室で尼僧服を着て縮こまっていて、どさくさに紛れて逃げている。
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ヴィルジーニャの最後は?
(牢獄はイメージ。だがこんな牢獄の方がまだマシと言える)
さて、結局彼女を含めた5人の尼僧と1人の神父はミラノ大司祭のもとにおいて裁判にかけられる。
残念なことにこの審問中に1人の尼僧は罪の重さに耐えきれず自殺している。
そして下された判決はかなり厳しいものだった。
- 神父は奴隷船送り
- 尼僧たちは独房に閉じ込められる
しかしこの独房はかなり厳しいもので、以下にその独房の概要を示すと
- 戸口は漆喰で封じられる
- 死ぬまでそこで過ごすことになる
- 生きている間は日の光を見ることは叶わない
- 食事は壁の小さい穴から補給することができる
読むだけでも耐えることは絶対にできない終身刑が言い渡された。
むしろ死刑の方がまだましかも・・・?
そして事件から14年が経過し共犯者はみんな死んでしまったが彼女はなんと生きていた。
というのも中の様子は伺うことは不可能だが、食事がなくなっていたことから生きているとは判断されていた。
そして1622年には枢機卿は彼女に慈悲を施す決定をした。
しかし独房のドアを開けた時、悪臭が放たれて看守の多くが嘔吐していがのだが、それも仕方ないことで、なぜならこの独房は衛生面などは全く配慮されていない。
なのでこの独房の中は「排泄物、汗と分泌物、雑菌が繁殖」。
そんな状態だった。
そんな中から這い出てきたのは46歳になったシスター・ヴィルジーニャの姿だったが彼女は
- 骨と皮になるまでやせ細り
- 白髪になって紙はバッサリと抜け落ち
- 100歳の老婆とも見違えるようなしわだらけの顔
- 歯は1本も無い
など生者なのか死者なのかの区別もつかなくなっていた。
しかしながらそんな彼女は驚くことに75歳まで生きており、
「道を踏みはずさないよう、性的な誘惑に悩まされる若い尼僧たちへの警告書」
という伝書を残している。
オシオの最後
さて、オシオの方なんですが結局逃げた1年後に捕らえられて斬首刑に処されています。
そしてその生首は棒に突き刺されて目抜き通りで晒し首にされるという最後を迎えています。
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