【浜松連続殺人事件】戦時下に起きた未成年による殺人事件とは?

浜松連続殺人事件とは?日本

こんにちは。タクヤンです。

今回お話しするのは

戦時下の犯罪

浜松連続殺人事件

です。

1940年代に起きた殺人事件として認知度は低いですがかなり悲惨な事件です。


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浜松連続殺人事件とは?

浜松連続殺人事件とは?

浜松連続殺人事件は1941年8月~1942年8月までに、現在の静岡県浜松地方で発生した連続殺人事件のこと。

最低9人の死者と7人の殺傷者を出した最悪な事件。

犯人は当時、聾唖者(耳が不自由)の未成年の青年であったが、戦時下という事もあり死刑となった事件でもある。

また、戦時下という事で情報統制も行われており、事件に関する記録が少ないことでも有名。

  1. 死者: 最低9人
  2. 負傷者: 7人
  3. 犯人: 死刑 



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事件の犯人: 中村誠策

浜松連続殺人事件: 犯人の中村誠策

浜松連続殺人事件の犯人は耳が不自由な当時18歳の青年で、7人兄弟の6男。

しかし生まれつき耳が不自由だったので、家族からは冷たく扱われたりしていた。

簡単な言葉しか発音が出来ないものの、「学校では主席の立ち位置」に入れるほど頭はものすごくよかった。

だが、彼は

  • 生来的な人間的感情や情性に欠ける精神病質性の人格
  • 不完全な教育による抽象的・精神的なものが育たなかった

という経歴を持っており、家族に対する情愛などは欠落してしまっていた。

そういったことや、日頃の鬱憤などが積もりに積もって犯行に及んでいったと考えられている。



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浜松連続殺人事件の流れ

浜松連続殺人事件の流れ

ここでは、この事件の一連の流れを見ていきたいと思います。

  1.  1941年8月
  2.  1941年9月
  3.  1942年~逮捕
  4.  1938年の殺害?

この順番で見ていきましょう。


1941年8月

浜松連続殺人事件の始まり

事件が始まったのが1941年8月18日。

中村誠策は芸妓(芸者さん)置屋に強姦と強盗目的で侵入し、2名を刺殺

翌日の19日深夜には料理屋に侵入し従業員3名を刺殺し逃亡をする。

これだけでなく、翌月には家族にまでその刃を向けることとなる。



1941年9月

浜松連続殺人事件: 家族の殺害

彼は日ごろのうっ憤を晴らすために、自宅で寝ていた家族を外部の犯行に見せて襲った。

  • 兄: 刺殺
  • 両親、姉、兄の妻とその子: 重軽傷

となってしまった。

警察は中村誠策の偽装工作の為に、外部からの侵入者による強盗殺人目的と考え、中村を疑いはしなかったという。



1942年8月~逮捕

浜松連続殺人事件: 犯人の逮捕

1941年の12月には太平洋戦争が勃発した。

自分の家族を殺害、重軽傷を負わせた中村はその翌年の8月にも犯行を行った。


今までの犯行と同じ手口である家を狙った。

  •  夫婦とその息子: 殺害
  •  娘: 強姦して負傷を負わせる

この結果、3名が殺害され、1名が負傷することとなった。

(4名殺害されたという話もある。)

そして、同年10月12日に逮捕され、この事件は幕を閉じたのであった。

この直後11月11日に、彼の父親は天竜川に投身自殺をした。



1938年に2名殺害?

浜松連続殺人事件: 2名殺害

逮捕された後、中村は

1938年に2名の女性を強姦・強盗目的で刺殺した。

と自供しており、正しければ

  1.  死者: 11名
  2.  負傷者: 7人

という現代でも深刻な結果になっている。

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浜松連続殺人事件の判決と結末は?

浜松連続殺人事件の判決と結末は?

ここでは彼の逮捕後から裁判の判決と、刑の執行までを話していきます。

  1.  特殊な裁判
  2.  死刑判決と死刑執行

この順番で見ていきます。

特殊な裁判

浜松連続殺人事件: 特殊な裁判

この事件の裁判は特殊な「戦時刑事特別法」によって審理されました。

これは、「戦時下で行われた犯罪について厳罰を課す」ものであった。

さらに、公判には数多くの住民が押し寄せて極刑を求めていた。

この特殊な状況下で、中村に対する判決はどうあがいても極刑が下されると容易に想像できる。

死刑判決と死刑執行

浜松連続殺人事件: 判決と死刑執行
  1.  中村の精神鑑定結果(心神耗弱者)は判断外
  2.  聾唖者ではなく難聴者と認定

難聴者と認定されたことで、聾唖者に対して減免を行える法律は適用されなくなった

こうして、中村誠策には死刑判決が下され、後に死刑が執行された。

(具体的な日にちは不明だが、1944年7月24日とされている)


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事件の解決をした紅林麻雄とは?

事件の解決をした紅林麻雄とは?
『週刊文春』(1959年12月21日)掲載の写真

この浜松連続殺人事件を解決したという紅林麻雄(くればやし あさお)。

数々の事件の解決に貢献した一方で「拷問王」ともいわれており、

  1. 幸浦事件
  2. 小島事件
  3. 寺田事件
  4. 二俣事件

などで無実の人に対して拷問を行い、自白した証言を合法的に証拠として冤罪を作り上げたほどでした。

だが彼は拷問を直接実行したわけではなく、部下に指示していたという人間でもあり、真犯人からの収賄の疑惑もあるほど。

そんな彼は、最終的に冤罪による無罪判決が確定したこと。

世間や警察内部からの批判で気力が完全に尽きて警察を引退し、1963年9月に脳出血で死亡した。


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浜松連続殺人事件のまとめ

浜松連続殺人事件のまとめ

この事件の犯人は「長兄」を殺害していますが,この人は家族の中で犯人を一番いたわっていた優しい人だったそうです。

この事件が起きたのは戦時下でもあったこと。

地域住民の事を考えるとこの判決は正しかったのでしょうか?

管理人には正直分かりません。

自分が裁判を行ってもし死刑を出さなければ、住民に夜道で後ろから鉈で殺されているかもしれませんね。

という訳で今回のまとめ

  1. 事件は1941年8月に発生した連続殺人事件
  2. 当時18歳の耳が不自由な青年の犯行
  3. 9名以上の犠牲者を出した
  4. 戦時下ということもあり死刑判決となった
  5. 捜査を担当した紅林麻雄は冤罪も数多く引き起こしている「拷問王」

この事件は全員が不幸になってしまった悲しい事件でした。

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