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【大米龍雲連続殺人事件】大正時代に発生した連続強姦殺人事件とは?

大米龍雲連続殺人事件とは? シリアルキラー

今回お話するのは

日本のシリアルキラー

大米龍雲連続殺人事件

です。

大正時代という古い時代に起きた有名な連続殺傷事件です。



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大米龍雲連続殺人事件とは?

大米龍雲連続殺人事件とは?

事件は大正時代の1905~1915年までの10年間で、日本全国で発生した連続強姦殺人事件。

一人の流れ坊主が次々と尼僧を襲ったので、報道では「殺尼魔」と呼ばれた。


認定されている分と自白した分も含めると

  •  強盗殺人: 3件
  •  強盗強姦: 5件
  •  強盗: 138件
  •  窃盗: 100件
  •  強姦: 30件

であり、老若関係なく殺害され、中には舌を手で引き抜かれた被害者もいたという程。 

被害者は尼僧だけでなく、巫女、ドイツ人の愛人なども被害に遭っている。

犯人は死刑判決を受け、死刑執行されている。



犯人:大米龍雲 

犯人:大米龍雲

この事件の犯人は「大米龍雲」だが、その本名はよく分かっていないという。

1871年に浅草の質屋に生まれたが、幼くして両親が死んだこともあり、本籍も定まっていなかった。

そんな彼は7歳の時、親類に財産を横領され、大分市の寺院(禅寺曹洞宗)に売り飛ばされたという。

そこの住職「大米龍元」の養子として修業し、「龍雲」の法名を授かった。

龍雲は頭がよく、達筆であり、弁舌も良かったといわれている。

1890年に養父が病死すると、彼は熊本の柔道道場に弟子入りし、柔道三段を取得。



日清戦争で

日清戦争で大米龍雲が

龍雲は1894年に発生した日清戦争で軍夫(補給運搬要因)として志願。

しかし戦場で地雷によって負傷し、その時に鼻柱を失って醜い姿となったという。

ただ、この部分は「親の病気のせい」という説もあり、地雷で鼻を失ったのは嘘という話もあるそうです。

そんな彼は戦地から負傷送還され、静岡県島田町の福仙寺で職を構えた。



何回か投獄される

大米龍雲は何回か投獄される

寺で職を構えた龍雲は1893年、22歳の時に今の職に見切りをつけ、各地の寺を転々とする。

彼の装いは「黒染めの衣」であったので、どこの寺も行脚僧と疑わず宿を提供していた。

各地を奔放している間に詐欺や窃盗を繰り返し、何回か投獄を繰り返していた。


1905年に詐欺を働こうとして逮捕され半年服役

1908年に10件の窃盗で懲役4年を言い渡されていた。

この間に、1名の尼を殺害しているが全て偽名を使っていたので、彼の殺人が明るみに出ることはなかった。

そして、1908年から4年服役し、出獄した後に手口が凶悪化していくのであった。



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事件の一連の流れ

大米龍雲連続殺人事件の一連の流れ

ここでは大米龍雲連続殺人事件の一連の流れについて解説していきます。

  •  1905年~1908年
  •  1913年
  •  1914年
  •  1915年
  •  犯人?の逮捕
  •  大米龍雲の逮捕

この順番に見ていきましょう。


1905年~1908年

大米龍雲連続殺人事件

1905年の大米が34歳の時、兵庫県尼崎市の「真如庵」という尼寺に押し入り、72歳の尼僧を殺害し、24円を強盗

この事件が大米にとって最初の殺人事件であったという。

同年には千住院住職を騙して金を奪おうとしたが見破られて逮捕。

この時は偽名を使っており、最初の殺人事件がばれることはなかったが、6月から半年間投獄されていた。

その後1908年には窃盗10件の罪で逮捕され、懲役4年の判決を食らったが、この時も偽名を使って服役していたという。



1913年

大米龍雲連続殺人事件

1913年に出獄した大米は、同年2月に願修寺の66歳の尼僧に寄付をして信用を得て宿泊

その日の夜に強姦をし、翌日に「資産家を紹介してやる」と騙して小田原の海岸に連れて行った。

そして、その海岸で海に突き落として殺害

その時盗んだ現金と貯金を全て神戸の遊郭で使い果たしたという。

同年の夏には神戸川崎の波止場で25歳ぐらいの男性と喧嘩になり殺害

福岡に逃げ、その時にうどん屋を経営していたAさんと知り合い、上京。

このAさんは大米に強姦されており、半ば強制的に京橋の家で同棲をしていたという。



1914年

大米龍雲連続殺人事件

この年は特に被害者が多く、

9月5日教徒の西七条の正覚寺に押し入る。
そこで悲鳴を上げた58歳の庵主の舌を引き抜き、金品を奪い逃走。

庵主は出血が止まらなく、約1週間後に死亡した。
10月29日東京都多摩郡戸塚町の尼寺「諏訪の森地蔵堂」に強盗。
この時大米は偽名を使い、尼の姉の紹介と偽って侵入。
当時72歳の尼を強姦したうえで絞殺し、米3升と布団1枚を奪って逃走。
11月11日鎌倉の尼寺「ニ伝寺」の風呂場の戸を外して侵入。
そこの庵主を殴りつけ、現金20円とその他衣類数点を強盗。

という、確認されているだけでも、この年が一番被害に遭った人数が多いという。



1915年

大米龍雲連続殺人事件

1月に鎌倉の感応寺で、「以前から肉体関係があった」と自供していた21歳の美人僧を犯して殺害

本当に肉体関係があったのかは不明。

そしてその後

5月8日兵庫県の寺「菩提庵」で男性住職を軍刀で脅して現金2円と衣類数点を奪う。
その後、銭湯から帰ってきた住職の妻を同じく軍刀で脅し、金の在処を尋ね、強姦してから逃げたという。
5月29日大阪府三島郡の「慈願寺」に押し入り、番僧を殺害して金品を強奪して逃走。

7月には川崎や都下で強盗を繰り返していたが、7月18日に杉並村阿佐ヶ谷の「法仙庵」の69歳の尼僧を犯し、現金5円と複数の衣類を盗んだ時、事件の流れが変わった。

尼さんは一命を取り留めており、その時の証言で

  1.  年齢40歳前後
  2.  身長五尺二寸(157㎝)ぐらいの色白の男
  3.  鼻筋が欠けている

という特徴が判明し、特に最後の特徴は他にはない有力証言となった。

犯人?の逮捕

大米龍雲の逮捕?

実は1915年5月ごろに前科二犯の当時46歳の男が尼僧殺しを自供した。

という報道がされ、これで事件が解決したと思われていたが、これは全くの間違い。

警察が拷問によって嘘の自白をさせていただけで全くの無実であった。

事実、この男は鼻が欠けているという特徴もなく、顔確認でも

こんなにいい男じゃない

という証言もあり、完全に誤報であった。

大米龍雲の逮捕

大米龍雲の逮捕

神奈川県警と警視庁がそれぞれ競い合うように捜査を進めていくうちに、前述した証言を獲得。

それを元に作成された手配書を見た人たちからも、続々と通報が入ってきたという。



そして同年8月8日、パナマ帽を被った「松本四郎」という偽名を使っていた大米が、女性と一緒に新橋から九州方面へ逃げたという情報が入った。

そこで、博多駅で複数人の福岡警察署員が待ち構え、そこに到着した大米に

あんた、松本さん?

と声をかけ、「そうだが・・・・」と答え身構えた大米に2人の刑事が飛び掛かり、捕獲した。

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大米龍雲と共にいた女性

大米龍雲と一緒にいた女性

一緒にいたAさんも逮捕されたが、強姦されて脅されながら連れまわされていた被害者の一人と判明。

大米自身も

Aはこの事件とは無関係なので放免してやって下さい

と何回も係官に頼み込んでいたという。

何故Aさんを連れまわしていたのか、その理由は定かではないという。

  1.  特別な感情(恋愛感情)を持っていた
  2.  囮か何かに使うため

それが分かるのは逮捕された大米龍雲のみぞ知る・・・・。



裁判と死刑執行

大米龍雲の裁判と死刑執行

数多くの被害者を出した大米龍雲連続殺人事件。

その犯人「大米龍雲」の裁判が1916年5月22日に死刑判決が言い渡された。

その判決の際、裁判長から「何か最後に言い残すことはないか」と問われると

面倒くせえから、さっぱりやって貰いましょうぜ。なあに、早く死刑になった方が、さっぱりしてようがさあ

と言い残した。

1ヶ月後の6月26日に、東京監獄で死刑が執行されるという早さであった。

龍雲は供え物の饅頭を食べ、茶を飲んで、タバコをねだって吸い、執行の時に

よせやいッ、くたばっちまえば、どうせ何も見えねえんだ

と、目隠しを拒み、そのまま死刑が執行され、45歳という生涯に幕を閉じたのであった。



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まとめ: 大米龍雲連続殺人事件

まとめ: 大米龍雲連続殺人事件

今回は大米龍雲連続殺人事件について紹介させていただきました。

日本のシリアルキラーに当たる殺人鬼とされている男。

海外のシリアルキラーやその他日本の殺人鬼と比べてみても、比較的大人しい被害とはなっています。

しかし、日本で今これが起きると完全に1ヵ月はTVを賑わせるでしょう。


という訳で今回のまとめ

  1.  大米龍雲連続殺人事件は1905~1915年に日本各地で発生した連続強姦殺人事件
  2.  尼僧が数多く狙われたことから「殺尼魔」といわれている
  3.  犯人は大米龍雲(本名ではなく法名)
  4.  戦争で鼻を鼻を失くし、醜い容貌といわれていた
  5.  舌を引き抜いて人を殺害したこともある
  6.  最低3人が殺され、30件以上の強姦、250件以上の窃盗強盗を起こした
  7.  死刑判決を受け、執行されている

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