今回のお話は
謎多き飛行機事故
ヴァリグ・ブラジル航空機遭難事故
のお話です。
”ヴァリグ・ブラジル航空機遭難事故”とは?
「ヴァリグ・ブラジル航空機遭難事故」は1979年1月30日に発生した航空機事故。
日本からブラジルへ飛び立ったヴァリグ・ブラジル航空967便が、その航路の途中で消息を絶った。
6名の乗組員全員が行方不明(死亡と判断)になり、絵画や自動車部品なども全て行方不明となってしまった。
ただ、機体の残骸といった遺留品が1つも見つからず、墜落の原因なども不明の未解決事故となってしまった。
- 死者: 6名
- 事故原因: 不明
遭難までの経緯
967便は
- 火曜日の午後6時に成田国際空港を離陸
- 12時間後にロサンゼルス空港で給油
- ペルーのリマ経由でサンパウロのヴィラコッポス国際空港へ
といったフライトプランであった。
ただ、この日は積み荷の積載に手間取り、2時間遅れの午後8時23分に離陸。
その30分後の53分に「銚子東北東沖210㎞」付近で
次の位置通報地点通過は9時23分
これが最後の通信となり消息を絶ったのであった。
機体の捜索活動
最後の通信の後、通信機の故障か周波数を変えたためか連絡は一切なかった。
しかし、燃料が尽きる時間になってもどの空港にも到着していないと確認。
機体は遭難したと判断。
機長が1973年の事故で不時着させたベテランパイロットということもあり、不時着していると予想されていた。
遭難したと予想される地点を中心に捜索がされたが、残骸は何一つ発見されなかった。
そのまま2月5日の午後1時に捜索が打ち切りとなり、6名の乗組員全員の死亡という結果で終わったという。
失われた積み荷と未発見の遺留品
捜索を行っていた際、
- フライトレコーダー(電波を発し続ける)
- ボイスレコーダー
- 燃料(海面に浮かんでいるはず)
- 機体の一切の残骸
- 積み荷の雑貨類、自動車部品
- 積み荷の絵画1200㎏
などは一切発見されませんでした。
この原因は、消息を絶った付近が水深5㎞前後の海域であったこと。
このことから、遺留品が全て海の底に沈没し、当時の技術では探知が出来なかったことと推測されている。
遭難に関する様々な説
「機体は何故墜落し、何故何一つ発見できなかったのか?」
という疑問が長年の間付きまとっていました。
どのような墜落事故であれ、事故後の捜索で普通は遺留品やボイスレコーダーなどは発見される。全く発見されないケースはほとんどない
という事も言われていることから、謎が謎を呼び続けました。
そこでいくつかの説が飛び交った。
- 乱気流に遭遇して墜落
- 金属疲労などによる機体の破損
- 積み荷の爆発
- テロリストの仕掛けられた爆弾で墜落
- 乗務員が自殺を図って急降下
とんでも陰謀論~超常現象説
こういったことから、こんな陰謀論が飛び出してきたのであった。
機体にはアメリカ軍の機密物資が搭載されていて、ソ連が機長を買収。故意に太平洋上に不時着させて潜水艦で回収した。
という、機長が大ベテランであることや、当時の世界情勢から誕生した陰謀論であった。
また、超常現象説で同機は「ドラゴントライアングル」で行方不明になったことから、
- 何らかの超常現象が原因
- 未確認飛行物体に拉致された
なども囁かれるようになった。
これらは当然全て陰謀論であり、事故の核心的な部分をついた説ではない。
「機体は何かしらの原因で墜落し、そのまま海の底に消えていった」
という説が強い。
まとめ: ヴァリグ・ブラジル航空機遭難事故
この事故は珍しく、一切の遺留品が発見されなかった航空機事故です。
航空機の事故は
起きることが少ないが、起きると一番生存率が低い
と言われています。
機体を運用していたヴァリグ・ブラジル航空も、2014年に80年近い歴史に幕を閉じています。
という訳で今回のまとめ
- ヴァリグ・ブラジル航空機遭難事故は1979年1月30日に発生した事故
- ブラジルへの定期航空便が離陸後行方不明に
- 6名の乗務員が死亡と判断された
- 遺留品などは一切発見されなかった
- 墜落した原因も一切不明
- 様々な説がでたが核心となる説は一切出ていない
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